学校の概要>沿革史
江別太小学校70年の足跡 4
カラー写真が普及する昭和50 年代になりました。
地域が学校を支えるという江別太の伝統は、新しい住民が加わることで、さらに力強さを増していきました。
学校の充実期
宅地造成と児童数増加が一段落した昭和57年頃からは、プールの設置、トイレの水洗化、グラウンドの暗渠、緑化推進など今日につながる教育条件の整備が行われました。
新しい自治会には育成部と防犯部が作られ、子どもの健全育成に力が入れられました。
PTA 活動も非常に活発になりました。環境整備に保護者が労力を提供することに加え、教材や備品整備の一助にと、PTA バザーやそれ不用品の回収などが行われました。収益は、築山やアスレチックの建設、図書、校旗・優勝旗の購入などにあてられました。PTA 祭では、模擬店での交流やママさんコーラス、スポーツ交流が行われ、保護者や地域の結束を強め、私たちの地域の学校という意識を高めることになりました。
保護者の熱い思いは、子どもたちにも伝わりました。合唱がとてもさかんになり、スポーツの面でも様々な成果が生まれ、子どもたちの自信につながりました。
今につながる地域の学校支援。(昭和63年)
盛んだったPTA 活動。にぎやかなPTA 祭は、バザーなどの実利とコーラスなどの文化活動の要素を持っていた。★
不用品の回収。
現在も大切に使っている校旗と優勝旗。この時代に、PTA 祭や不用品回収など、PTA 活動の収益金で寄付していただいた。
昭和56 年11 月。市民会館で行われた「楽しい音楽の集い」に参加する本校の児童。このころから、合唱はとてもさかんだった。
江別市教育研究会の公開授業。(昭和56 年10 月)ちょうど今の保護者世代が小学生だった。★
伝統として続けてきた愛鳥運動は、学校規模が大きくなっても継続していた。
← 新聞は昭和59 年11 月。↑昭和60 年の全国野鳥保護の集いでは表彰を受けた。★
PTA から寄贈されたアスレチック。ここにもPTA 祭などの収益金が活用された。★
開校40周年事業
開校40 周年記念事業。タイムカプセルや、新校舎中庭に移設した日時計などが設置された。★
昭和63 年、開校40 周年に際して撮影された航空写真。校舎は、児童玄関部分以外は、ほぼ旧校舎と同じ。校区は発展し、江陽中も見える。萌えぎ野は造成されていない。★