学校の概要>沿革史
江別太小学校70年の足跡 1
↑そりに乗った私たちの学校(昭和63年度卒業児童作品)
戦争が終わり、新しい学校制度が誕生すると、学校設立の機運が地域の中で一気に高まりました。
江別太小学校の開校
学校の建設位置は長年の懸案でしたが、戦後、地域中心部の未開地区を緊急に農地として開拓しようという動きが出たことから、将来地域の中心となると目された現在の位置に建設することが決まりました。村田信治氏から、1 町4 反の土地を寄付していただき、建設地の問題は解決できました。
しかし、当時は戦後間もなくの建築事情が最悪な時期であったため、校舎の新築は困難でした。協議の結果、東光通りと国道337 号線の交差点にあった大正13 年に建設された青年会館を転用することになりました。12 月、住民総出で夜間に馬橇で曳き家し、校舎が完成しました。
昭和23 年12 月18 日。住民の悲願であった江別小学校江別太分校が開設されました。校長には特別教授場教諭だった野村紀六氏が就任しました。認可は1 学級でしたが、野村校長、長女の良子先生、職業教育を担当された夫人の愛子先生の3人で、授業が始まりました。
翌24 年4 月に、分校から独立し、江別町立江別太小学校が創設されました。
戦前から区長、町議として開校のための調整をされ、開校後は初代PTA 会長を9 年間努めた上出善松さん(右から2 人目)ら、開校に尽力された地域の皆さん。
最初の校舎。版画のように住民が総出で馬そりに乗せて移転させた。 周囲に迷惑をかけないように夜に曳き家したが、到着したときには夜 が明けていたという。★
江別太小学校の開校初代校長 野村紀六氏の肖像画
本校の沿革年表 1
昭和 23.12.18 |
部落の青年会館だった建物を現在地に移転。★ 江別小学校江別太分校として開校。★ 単級編成〔在籍42 名〕 |
24. 4. 1 | 江別町立江別太小学校として独立。 単級編成〔41 名〕 |