学校の概要>沿革史
江別太小学校70年の足跡 3
江別太小学校の発展期
規模の拡大と愛校意識の高まり 昭和後期
昭和41 年に学級数が6 学級となり、複式・小規模校の時代は終わりました。さらに学級数は増え続け、昭和46 年に8 学級、50 年に12 学級となり、54 年には児童数が600 名を越え18 学級となりました。学校は、都市郊外住宅地の大規模校としての性格を併せ持つことになりました。
背景は、宅地造成です。昭和41年のあけぼの団地、昭和47 年から57 年度にかけて行われた江別太土地区画整理事業による朝日町とあけぼのみどり地区の宅地造成により、児童数が著しく増加したのです。
学校規模の拡大に伴って、次々に校舎の増築が行われました。今年の移転直前まで図書室として使っていた教室をはじめ、これまでのほとんどの建物はこの時期に建設されています。
年表や写真と見比べて、校舎のどの棟がいつ建てられたかを確認してください。
あけぼの団地の造成。昭和40年市議会で決定。昭和41 年7月に第1 次、72 戸が完成。★
今まで職員玄関や図書室として使われていた校舎は、平屋の建物として、児童が急増した昭和42 年に建設された。★
その4 年後の昭和46 年。ますます増加する児童に合わせ、2 階部分が増築された。★
昭和53 年の運動会。左手に新体育館。中央は旧体育館。
昭和46 年。校歌が作られた。★
昭和49 年。管理棟と中庭が完成。★ 昭和53 年。開校30周年記念の環境整備。★
昭和51 年12 月。このころは毎年50 人くらい児童が増えて、「すし詰め教室」と報道された。この後、昭和52 年にはプレハブ教室が使われた。
昭和53 年、開校30 周年の人文字。鉄骨2 階建ての校舎棟が見えないことから、5 月の着工前の撮影らしい。
校舎増築と、開校30 周年を「二重の喜び」と伝える新聞記事。(昭和53 年)★